(娘のface bookより引用 )
・・・・・・・・・・・・・
【この魔法、まだ健在ww】
小3になった今でもまだ、
この魔法は健在ww
(今はムスメにも効果絶大w)
ムスコ『もぉ〜〜ヤメテェェ(≧∇≦)』
って
悲鳴をあげながら、
その顔がもう笑ってるってゆーねw
・・・・・・・・・・・
『あーたんの魔法』
ときどきウソをつくことがあるムスコ。
もちろん、まだまだ可愛いウソ。
「もう、はをみがいたよ」
「きょう、まだ あいすたべてないよ」
そんなとき、魔法をかけます。
『よし、ウソついてたら笑っちゃう魔法、かけちゃうぞ〜』
すると、言い終わらぬうちに、こんな顔(≧mm≦)
なんとかガマンしようとするのが可愛くておかしくて❗️(≧∇≦)
*********
きっと私も、親にはどんなウソも見透かされていたんだろうなと
今更ながらに思うムスメでありました(⌒-⌒; )
・・・・・・・・・・
そんなことは
もうすっかり忘れてしまった母でありました (ゆめこ)
子どもが来てくれて
わたしたちは親になったの
だから
子どもの年齢と 親年齢はいっしょ
いくつになっても ずっと 同い年
だから
子どもの誕生日が 親としての誕生日
子どもが1歳になったら
ようやく親も1歳
子どもが歩き出したら
ようやく親も歩き出したところ
親は先輩だけれど
子どもよりエライわけじゃない
赤ちゃんは 小さいけれど
劣っているわけじゃない
なにひとつ出来ないことで
あなたの愛を 引き出してる
一番新しい情報をたずさえて
もっとシンプルに もっと楽に
もっと自分を愛して
もっともっと幸せに生きられるように
それを伝えたくて あなたを親に決めた
あなたは 子どもにとって
一番早く幸せにしたい 大好きな人
完成されているからではなくて
ともに学ぶために選ばれた
選ばれた親として
自信と 感謝と 愛をもって
子どもと一緒に 成長していけばいい
あなたの寂しさや 自信のなさや
自分をいじめるクセなど
子どもはみんな承知のうえで
あなたに決めたのだから
知ったかぶりもいらないし
できるふりもいらないよ
いいお母さんにならなくていいし
いっぱいいっぱいなあなたを
こどもは ちゃんと赦してる
「ありがとう」の感謝を忘れず
「ごめんね」を言う勇気や素直さ
「いいよ」と言えるやさしさを学んで
誰でも強さと弱さを持っていることを知り
ありのままの自分やひとを受け入れて
自分を好きでいられる生き方をする
そんな「幸せの見本」が そばにあったら
子どもは どれだけ安心でしょうか
「育児」は 子どもと一緒に自分も育って
「自分を幸せにすること」じゃないかしら
三つ子で生まれたって
おんなじお腹から
同じ日に 1時間の間に生まれたのに
体重も 身長も 声の大きさも
生まれた状態も 血液型さえ違ってた
同じミルクを 同じ時間に飲ませているのに
オムツを取り換える時
身体の匂いが違ってた
おしっこもウンチも
匂いも硬さも 間隔も違ってた
腸内細菌も違ってたんだろうと思う
お腹がすいたときも
口に哺乳瓶の乳首が入るまで泣き続ける子もいれば
声をかけると泣き止む子もいれば
最初からちょっと口をへの字に曲げただけで
あとは じっとがまんの子もいた
性格もぜんぜん違ってた
ひとりで遊ぶ子
ひとのおもちゃをとりあげる子
相手が欲しいものは捧げて差し出す子
顔も 背丈も 体質も
みんな違ってた
同じところをさがすほうがむずかしい
というか 私には見当たらない
三つ子でさえそうなのだから
歳の差のあるきょうだいは
親の妊娠中の精神状態から
出産後の環境の差や
1人目か 2人目か 3人目かなどで
同じ親でも扱い方が違ってくるから なおのこと
違っていてあたりまえ
ましてや 親が違っていれば
違った食事 違った言葉を聞いて育った子どもたちは
ますます千差万別であたりまえ
そうした子どもたちに
同じことをやらせて
比べたり 競い合わせたりすることに
どんな意味があるのだろうか
お母さん
よその子と比べる必要はないよ
というより
比べられないよ
ほかの子と同じようにするためになんて
誰も生まれてきてないよ
どの子もみんな ひとりひとり
自分が選んだ持ち物で
自分が選んだコースを
自分の好きな跳び方で越えていく
そんな冒険の旅
どの子の持ち物も
ほんとすてきなんだよね~♥
「ぼくは ぼくになりたくて ぼくをえらんだ
ぼくには得意なことと 苦手なことがある
得意なことをいっぱいやって みんなを喜ばせるために来た
でも ぼくは苦手を得意にするために
毎日 苦手なことばっかりいっぱいやっていて
得意なことで みんなを喜ばせるひまがない
ママや先生は ぼくがえらんだぼくじゃなくて
ぜんぶ得意なひとになりなさい って
ぼくじゃあ ママはしあわせじゃないんだ・・」
そう言った福山の男の子の顔が
いまだに忘れられません
おんなじお腹から
同じ日に 1時間の間に生まれたのに
体重も 身長も 声の大きさも
生まれた状態も 血液型さえ違ってた
同じミルクを 同じ時間に飲ませているのに
オムツを取り換える時
身体の匂いが違ってた
おしっこもウンチも
匂いも硬さも 間隔も違ってた
腸内細菌も違ってたんだろうと思う
お腹がすいたときも
口に哺乳瓶の乳首が入るまで泣き続ける子もいれば
声をかけると泣き止む子もいれば
最初からちょっと口をへの字に曲げただけで
あとは じっとがまんの子もいた
性格もぜんぜん違ってた
ひとりで遊ぶ子
ひとのおもちゃをとりあげる子
相手が欲しいものは捧げて差し出す子
顔も 背丈も 体質も
みんな違ってた
同じところをさがすほうがむずかしい
というか 私には見当たらない
三つ子でさえそうなのだから
歳の差のあるきょうだいは
親の妊娠中の精神状態から
出産後の環境の差や
1人目か 2人目か 3人目かなどで
同じ親でも扱い方が違ってくるから なおのこと
違っていてあたりまえ
ましてや 親が違っていれば
違った食事 違った言葉を聞いて育った子どもたちは
ますます千差万別であたりまえ
そうした子どもたちに
同じことをやらせて
比べたり 競い合わせたりすることに
どんな意味があるのだろうか
お母さん
よその子と比べる必要はないよ
というより
比べられないよ
ほかの子と同じようにするためになんて
誰も生まれてきてないよ
どの子もみんな ひとりひとり
自分が選んだ持ち物で
自分が選んだコースを
自分の好きな跳び方で越えていく
そんな冒険の旅
どの子の持ち物も
ほんとすてきなんだよね~♥
「ぼくは ぼくになりたくて ぼくをえらんだ
ぼくには得意なことと 苦手なことがある
得意なことをいっぱいやって みんなを喜ばせるために来た
でも ぼくは苦手を得意にするために
毎日 苦手なことばっかりいっぱいやっていて
得意なことで みんなを喜ばせるひまがない
ママや先生は ぼくがえらんだぼくじゃなくて
ぜんぶ得意なひとになりなさい って
ぼくじゃあ ママはしあわせじゃないんだ・・」
そう言った福山の男の子の顔が
いまだに忘れられません
娘のところのホームトランポリン♪
ダイエットに効くとか・・効かないとか
効果のほどは さだかではありませんが・・・
やってみたくて 孫たちに
「ばあばも やっていい?」
「い~よ~♪」の快諾を得て
いきなり 跳んでみた♪
40代に気持ちはおいてきたままなので
と!ところが!
なんだ これは!
ひざが ふにゃふにゃ ほにゃほにゃ
ひざの軟骨がクッション材になっているみたい・・・
「ダメだ こりゃ ひざにくる~!!」
と叫んで 3回ほどであわててやめた
と そこへ4歳のおてんば孫娘
「え?ばあば ひざにくるの?♪
ひざにくるかどうか やってみる~!♪」
小さい体で
つかまり棒より高くジャンプしながら
「ほんとだ~♪ ひざに来る~♪ ひざに来る~!♪」
・・・('_')・・・なんだかなぁ
あなた 意味わかってないでしょう!?
きのう なにげにテレビをつけたら
とんでもないものを見てしまった
司会者のお笑いタレントが
「あなたがお父さんと一緒にいられる日数は・・あと13日です」
と言われて 一瞬 スタジオがシーンとした気がした
「え?!」と彼の顔からも笑いが消えた
現在の自分の年齢と
今のお父さんの年齢の平均寿命で残り年数を割り出し
盆暮れの1年に2回会うだけになったら
実家に帰っても 実際に顔を合わせている時間は通算で約312時間
それを24時間で割った数字は・・つまり13日間となった
テレビ画面で 彼は
「お父さん からだ大事にして下さい。大好きです。」
と言っていた。泣きそうだった。
さて 平均的な数字では
生まれたばかりのわが子と 実際に一緒にいられる時間は
女性は 7年6ヶ月
男性は 3年4ヶ月だそうな
子どもが幼稚園に入る頃には
その18%を使ってしまい
幼稚園を卒業するときには
32%が過ぎ去ってしまう・・
小学校を卒業するときには
半分以上の55%を費やしてしまい
18歳では73%が終わってしまう・・・ (T_T)
がく然とする数字ではありませんか!
子どもが 「だっこ~」と両手をひろげる時
子どもが 胸元から小さな手を入れてくる時
子どもが 足にからみついてくる時
おんぶしないと寝てくれない時
ママじゃないと泣きやまない時・・・
ああ なんてすてきなプレゼントだったんだろう
なんて 大切な時間だったんだろう
小学校を卒業するまでに
一緒にいられる時間の 半分以上を費やしてしまうなんて・・
これをやってから
あとで あとで と言っているうちに
気がついたら 子どもはおとなになっています
今しかない時間
たいせつにしましょう(*˘︶˘*).。.:*♡
子どもと一緒に過ごしましょう♪
他のことは
あとで出来ます