そらが大好きなじいじが亡くなった
ついこの間
「500円玉のつかみどり」というお年玉を
もらったばかりなのに・・・
じいじのお葬式の休み時間に
私の背中にまわって
だまって肩をたたき始めた孫のそら
肩をたたいてくれるなんて初めてだったので
「どうして?」と聞いたら
「なぜだかわからないけど こうしたいの。」と言った
「じいじを亡くして悲しいばあばのところに行ってあげて。」
と 言おうとしたけれど
言葉を飲み込んだ
こどもも 悲しいのだ
大人のように泣かないけれど
こどもも悲しいのだ
(妹はお母さんの肩に寄りかかっているから
ぼくは ばあばにさわりたい・・・)
本当は ぎゅうってしたいんだよね
・・・・・・・・・・
こどもには
かなしみのいみがわからない
おとなには
逝かれてしまう悲しみの意味が
言葉にして 誰かと分かちあえたり
言葉で なぐさめられたりもする
こどもには
とつぜん めをとじたまま つめたくなって
いつまでまっても もうめをあけることはないのだということが
どういうことなのか わからない
でも だいすきなひとが
このからだにはもういないのだということだけは・・・
なぜだか わかる
でも でも あの あのじいじが
どこかにいなくなってしまったいみが
もう かえってこないといういみが
よくわからない
「じいじ~! どこ~?」
どこをさがしても
おおきいこえでよんでも
へんじがなくて
どこにもいないといういみが
よくわからない・・けど
ぼくがおおきくなって
せかいじゅうをさがしても
もう じいじをみつけられないのだということ
もう あえないのだということは
・・・ わかる
じいじがけむりになって
そらにのぼっていくのをみるのは
よくわからないけど
ものすごく かなしい・・・
大人たちは泣いている
こどもたちは いすにすわって
足をぶらぶらさせている
泣いていないけれど
こどもも 悲しい
ことばにいえないけど
このきもち どうしたらいいかわからないから・・・
うしろにすわっているばあばの肩を
たたいているんだよ
「なぜだかわからないけど こうしたいの」
と そらは言った
泣いていなかったけれど
彼のやりきれない悲しさが
伝わってきた
背中を預けながら
代わりに 私が 泣いた・・・