これはなにをしているのかというと
泣いているのです
悲しいことがあると
そらは ゆかに頭をくっつけて
テーブルやソファーに身を投じて
全身で号泣します
こんな理不尽なことがあっていいものか!
世の中にこれほどの悲しみはありゃあしない!!
とでもいうように
ヒィヒィと全身で悲しみを表現します
その悲しがりようがあんまり可愛くて
[そぉぉんなに悲しいの~
悲しいね~ぇ
泣いてるそらも だぁい好きだよ~]
なんて そばで笑いながら見ていて
だれもそらを抱き起こしてやらないとき
もしかしたら 神様も
私たちが 泣いてても 笑っていても
いつも変わらずに私たちのことがだぁい好きで
私たちの悲しみや苦しみに手を出さずに
「どんなあなたでも 愛しているよ」と
信じて見守っていてくれるのだなと ふと思った
そらの場合
この頃解禁になった赤ちゃん用の
味なんかなんにもしないおせんべいの
1枚の1/5位をちらつかせるだけで
すぐにニコ~ッとなるのですが
神様から見たら
ちょっと誰かに言われたら泣き
誰かがほめたらすぐに機嫌がなおるわたしたち大人も
あんまり変わりないのかも(*´∇`*)
ならば がまんしないで
悲しいときは どこであれ おかまいなしに全身で悲しみ
うれしいときは 「今泣いたカラス」と言われようが
おかまいなしに笑いこけてるそらは・・・
やっぱり かわいい~!!
ならば
悲しんだり 自分をせめたり
うらんだり 嫉妬したり
嫌いになったり 好きになったりして
いつも揺れ動いているわたしたちのことを
神様は
「やっぱり かわいい~!!」って
言って下さっているよ きっと!(*´∇`*)v
そらが
目で話しかけてくる
1才にならないうちに
こんな目で 見つめるのだもの
こどもは みんな
お見通しだ
息子が小さいときに
「どうして大人は
思ってることと 話すことがちがうの?
どうして 話すことと することがちがうの?
ボクは どれを信じたらいいの?」
と わたしに聞いてきた
思ってることと話すことが違うだなんて
どうしてこの子にわかるのだろう と
そのことにびっくりして 答えられなかった
息子がやはりこんな目で
ずっとわたしを見ていたに違いないのに
その時のわたしは 気づいていなかった
子どもたちの目に
この世界はどう映っているのだろう
そらの目に
わたしはどう映っているのだろう
わたしは そらに選ばれたばあばとして
そらが選んだこの星を
美しい星です!と 引き継ぐことができるだろうか
その責任を 果たしているだろうか
見つめられるたびに
自分に問いかける
おそとはあかるい
あめもふってないよ
ずうっとおうちであそんでる
ときどき あけてもらうまどから
はるのかぜが さぁ~っとはいってきて
わぁ~ってみんなでまどにかけよると
おそとは はるのいろでいっぱい!
でも すぐに
「またあとでね」って まどがしめられて
またおうちのなかであそんでる
いつまでおりこうにしていたら
おそとであそべるの?
すなばであそべるのはいつだろう
おはなにさわれるのはいつだろう
かぜのなかを
おもいきりはしれるのはいつだろう
あめもふってないよ
ずうっとおうちであそんでる
ときどき あけてもらうまどから
はるのかぜが さぁ~っとはいってきて
わぁ~ってみんなでまどにかけよると
おそとは はるのいろでいっぱい!
でも すぐに
「またあとでね」って まどがしめられて
またおうちのなかであそんでる
いつまでおりこうにしていたら
おそとであそべるの?
すなばであそべるのはいつだろう
おはなにさわれるのはいつだろう
かぜのなかを
おもいきりはしれるのはいつだろう