この間 幼稚園に迎えに行ったら
手をつないで 開口一番
「きょうは さむいね~
なんか ゆきでもふりそうだね~」
と そらが言った
雪でも・・って・・(^0_0^)
会うたびに おとなびてくるそらは
この春 小学校に上がります
もうずっと前から
なわとびもサッカーも
そらの動きには追いつけません
そらにそう言ったら
「そうでもないよ
けっこう やれたじゃん♪」
と なぐさめてくれることもできる(;´∀`)
そんな そら君 2月生まれなので
お友だちのお誕生会がほとんど終わった今日
ようやく 待ちに待ったお誕生日を迎えました
そらが やっと6歳になると
お友だちは じきに7歳になる・・・(*ノωノ)
私の場合は 子どものころお世話になった先ごとに
生年月日が変わったので
生まれた日が3つもあるのですが
誕生祝いという思い出がないので
なんの問題もなく そのままになったのでしょう
そらは 正真正銘
今日が誕生日です(*^^)v
生まれたときの証人が
おおぜいいます(*^^)b
「誕生日がひとつ」って
あたりまえのことだけど
私のように たくさんあるのはいいほうで
わからないひとも
いっぱいいるのでしょうね
出生届を出してもらえずに
おとなになったひとのことを思えば
私はずっとずっと しあわせです
そのおかげで 私には
誕生日が 他の人よりも
ずっと尊く思えるのかもしれないね
しあわせなそらが ありがたいのです
誕生日を祝ってもらえるそらが
私にも すごく うれしいのです
そら 誕生日 おめでとう
今日は
あ~たんがいのちをかけて
からだをふたつに分けてくれた日
と~たんが こころから
二人の無事を祈ってくれた日
じいじも ばあばも おじちゃんも おばちゃんも
そらが知らない人まで いっぱい
こころを寄せて案じてくれた日
誕生日は
ありがとうの日だね
おぎゃあ!と生まれただけで
そらはみんなを幸せにしたよ
生まれてくれて
ありがとう
しあわせに 育ってください
そらは 来月12日に おかげさまで6歳になります
4月からは 小学生になるのです 早いっ!
私もおかげさまで 6つも大きくなりました
こどもの6年の成長と 年をとっていく6年の変化は
あんまり正比例的で 笑えるほど
孫が出来るようになっていくことと
私が出来なくなっていくことが
井戸のつるべみたいです
私の胸にすっぽりおさまって
まあるく抱っこされていたそらが
きのう寝そべっているのを抱き上げようとしたら
腰のあたりが ぴきっ!と・・・
ぎっくりぽん!です (笑) (笑い事ではない)
きのう 私のぽっこりお腹を見ながら
「ばあば お腹になにかいるよ」
・・・・・(゜o゜)
私 お腹を隠していたのに気づかれたかと
すこし動揺して ぼけてみた
「え? も、もしかして赤ちゃんがいる?」( *´艸`)
2年くらい前には 私のお腹に聴診器をあてて
「あ、・・いるね」と言ってくれたのに
もうじき6歳の年長さん
すかさず
「ん~なわけ・・ねえだろ!」
「・・・・・・・ (*_*; 」
たじたじな つっこみでした
2012.11.21のブログ
1分で感動 Blog Archive お母さんの宝物
とても感動しましたので
紹介させていただきます
致知2012年12月号特集「大人の幸福論」より
助産師として33年、2600人以上の赤ちゃんの
出産に立ち会ってきた内田美智子さんの言葉
自分の目の前に子どもがいるという状況を
当たり前だと思わないでほしいんです。
自分が子どもを授かったこと、
子どもが「ママ、大好き」と言って
まとわりついてくることは、
奇跡と奇跡が重なり合ってそこに存在するのだと
知ってほしいと思うんですね。
そのことを知らせるために、
私は死産をした一人のお母さんの話をするんです。
そのお母さんは、出産予定日の前日に
胎動がないというので来院されました。
急いでエコーで調べたら、
すでに赤ちゃんの心臓は止まっていました。
胎内で亡くなった赤ちゃんは異物に変わります。
早く出さないとお母さんの体に異常が起こってきます。
でも、産んでもなんの喜びもない赤ちゃんを産むのは
大変なことなんです。
普段なら私たち助産師は、陣痛が5時間でも10時間でも、
ずっと付き合ってお母さんの腰をさすって
「頑張りぃ。元気な赤ちゃんに会えるから頑張りぃ」
と励ましますが、死産をするお母さんには
かける言葉がありません。
赤ちゃんが元気に生まれてきた時の分娩室は賑やかですが、
死産のときは本当に静かです。
しーんとした中に、お母さんの泣く声だけが響くんですよ。
そのお母さんは分娩室で胸に抱いた後
「一晩抱っこして寝ていいですか」と言いました。
明日にはお葬式をしないといけない。
せめて今晩一晩だけでも抱っこしていたいというのです。
私たちは「いいですよ」と言って、
赤ちゃんにきれいな服を着せて、
お母さんの部屋に連れていきました。
その日の夜、看護師が様子を見に行くと、
お母さんは月明かりに照らされてベッドの上に座り、
子どもを抱いていました。
「大丈夫ですか」と声をかけると、
「いまね、この子におっぱいあげていたんですよ」と答えました。
よく見ると、お母さんはじわっと零れてくるお乳を指で掬って、
赤ちゃんの口元まで運んでいたのです。
死産であっても、胎盤が外れた瞬間に
ホルモンの働きでお乳が出始めます。
死産したお母さんの場合、お乳が張らないような薬を
飲ませて止めますが、すぐには止まりません。
そのお母さんも、赤ちゃんを抱いていたら
じわっとお乳が滲んできたので、
それを飲ませようとしていたのです。
飲ませてあげたかったのでしょうね。
死産の子であっても、お母さんにとって
子どもは宝物なんです。
生きている子ならなおさらです。
一晩中泣きやまなかったりすると
「ああ、うるさいな」と思うかもしれませんが、
それこそ母親にとって最高に幸せなことなんですよ。
母親学級でこういう話をすると、
涙を流すお母さんがたくさんいます。
でも、その涙は浄化の涙で、
自分に授かった命を慈しもうという気持ちに変わります。
「そんな辛い思いをしながら子どもを産む人がいるのなら私も頑張ろう」
「お乳を飲ませるのは幸せなことなんだな」
と前向きになって、母性のスイッチが入るんですね。